見える。分かる。

研究室にて作業後、CのAさんの送別会。
最初は電車で行こうと思っていたのだが、宴席が終わるのが確実に終電時間を過ぎるため、車で。
必然的に、アルコール類は飲まないことになる。


アルコールを摂取せず、人々の話を黙って聞き、さりとて自分は全く話さないというわけでもなく、
テンションも上げず、下げず。そんな状況での飲み会。
色々な人の色々な側面が見えてくる。分かる。


見える。


「たとえばいま一人の男が机の前に座って、ある過激で単純な主張を徹底的に展開してやろうと
決めたとするなら、彼がこれから書く原稿はたぶんきっと面白い。」
「ややこしい現実、とりとめのない事象、ときには矛盾に満ちた現実のあれこれを真摯に誠実に
正しく伝えまとめようなどと考えているとしたら、そんな原稿は絶対につまらない。」
「驚くべきことに雑誌の原稿の面白さは内容の是非に一切関係ないのである。」

双葉社刊 福野礼一郎著「またまた自動車ロン・モデナ評論」より抜粋の上転載)


上記の文章は、自動車評論家の福野礼一郎氏が雑誌の原稿の面白さというものについて簡単に記したものだが、
人の喋る内容についても、この論が当てはまるのではないか、と思った飲み会であった。*1

*1:しかし、私は私でアルコールを大量に摂取して「酒に飲まれてしまう」ことが全く無いというわけでもない。そんな状況に陥ったとき、くだらない単純な内容をエキセントリックに話してしまっているということが多々あると思われる